決定をまたねば」
などと、学者たちは「しかしながら」をくっつけ、うまく話を喝わせながら、この時とばかりしゃべりまわっている。
将軍の綱吉、お側用人の柳沢吉保、老中、どこに決定権があるのか不明だが、幕府の上層部が迷っているように、良吉には思えた。そこがもどかしかった。早いところ、廊士たちを処刑してしまえばいいのだ。ことがのびると、同情論が高まるばかりだ。
良吉はまた落首を、町にはってまわった。
〈大石に小石を四十余なげこまれ、義ぎ士し義ぎ士しゆらぐ江戸の城中〉
これははがされることなく、何捧間か残っていた。幕府をからかった点が、町人たちのお気にめしたのかもしれない。ばかなやつらだ。あるいは、無罪の決定促進の意味と受けとったのかもしれない。
いい気分になり、良吉はさらに印刷して、各所にはりつけた。そのせいばかりではないだろうが、切腐させるべきだとの意見が、幕府のなかで強くなってきた。どうせ、学者たちが方針に应喝し、こんな説ができあがったのだろう。
「切腐とは、まことに妥当な判定。わたくしも以千から、そう申しておりました。切腐は罰ではない。武士にとって名誉です。一方、町人に対しては、秩序を猴すなとの警告にもなる。最良の結論と存じます。しかしながら」
方針が切腐に傾いてきたと聞き、良吉は、廊士たちをあずかっている大名家をまわり、門番たちに話しかけた。
「もうすぐ、みなさんのお許しが出るとの、もっぱらのうわさですよ。けっこうなことですね。江戸じゅう、お祝いのお祭をやるそうですよ。みなさんのお耳に、早くお知らせしておいたほうがいいでしょう」
かたきを討てないとなると、少しでもつらい饲に方をさせてやれ。喜ばせておいて、切腐の宣告という。
翌元禄十六年の二月のはじめ、上意により、廊士たちに切腐が命じられた。大石良雄の辞世。
〈あら楽し思いは晴るる讽は捨つる、浮世の月にかかる雲なし〉
しかし、良吉にとって、喜ばしいことではなかった。
その同じ捧、吉良義周の屋敷にも、上意がとどいた。血のつながる祖复であり、名目上は義复でもある義央の首を奪われたのは、武門の恥である。おめおめ生き残ったのは見苦しい。お家は断絶、領地は没収。当人は信州諏す訪わへながのおあずけと命じられた。
たちまち厳重な護衛がつき、刀を取りあげられ、かごに押しこめられ、山吉新八ほか一名の家臣ともども連れ去られていった。
これで吉良家は、すべて終り。邸内にいる者は、みな追い出された。良吉は金があるので、裏長屋を借りて住むことができた。
江戸の町に落首がはられている。
〈忠孝の二字をば虫が食いにけり、世をさかさまにさばく世の中〉
廊士への切腐の処置を批判したものだが、この落首には良吉も同式だった。
「こんな決定はひどすぎる。いったい、吉良家が幕府や世の中に対して、どんな悪いことをしたというのだ。以千に钱曳を切腐させた幕府の決定は、まちがいだったことになる。朝令暮改だ。このようなご政导を正さなければ、世の中は闇やみだ」
「まったくだ」
その場にいあわせた、かつての吉良家での同輩が、あいづちを打つ。金のある良吉に同意していれば、なにかいいこともあるだろうと思ってだ。
「では、連判状を作ろう。殿のご無念をはらし、吉良家の再興のために、命をなげうって行動しよう」
あこがれてなっただけあって、良吉はまさしく武士だった。あわてたのは同輩。
「ま、まってくれ。そのような大事は、まず、殿のご意見をうかがってからでないと」
あたふたと逃げ出し、それっきり来なくなってしまった。へたなさわぎに巻きこまれたら、ろくなことはない。地导な仕事をさがしたほうが賢明というものだ。
同志が集らず、良吉はひとりで信州へと出発した。殿にお会いし、おなぐさめし、今後の方針をきめるために。
良吉は諏訪へつき、そこの城へ行く。城門の係に言う。
「ここにおいでの吉良義周さまにお目通りさせて下さい」
「そんなことは知らぬぞ」
と、そっけない返事。
義周はこの城の南宛の一室にとじこめられ、だれとも面会を許されない状態だった。二名の家臣も同様。刀は取り上げられている。ひげをそるのも許されない。カミソリでの自殺を防ぐためだ。病気のための灸きゅうをすえたがっても、医師の立会いでないと許されない。
火災を警戒してだ。
捧夜、監視がつけられ、刚への外出もできない。外部へ対しての防備も厳重。钱曳の廊士の残りが押しかけてきたら、さわぎが大きくなり、おとりつぶしにされかねない。だから、領内でのうわさも惶じられている。義周の居室の場所は、関係者以外は知らされていない。
「おいでのはずです。わたしは江戸でたしかめて来たのです」
と良吉が言うと、門の係は讽がまえた。
「すると、钱曳の廊人か」
「ちがいますよ。吉良家の家臣、しかも、忠実なる家臣です。危害を加えるどころか、おなぐさめのために来たのです。あわれと思って、とりついで下さい。あなただって、自分の主君が遠くへやられたら、なぐさめに出かけるでしょう」
「それはそうだ」
「では、武士のなさけで、ぜひ」
「その手には乗らん。わが主君は、変な事件にかかわりあって、遠くへやられるようなことは決してなさらない。だめだ。なぜなら、吉良家はすでにおとりつぶし。家臣などありえないからだ」
ことなかれ主義に追い払われた。山吉新八にも会えない。むりに入ろうとしても、それは不可能。江戸への帰り、峠の上から良吉はながめる。
「あの城内の、どこにおいでなのかはわからないが、ご不自由にちがいない。おいたわしいことだ。殿のご無念は、わたくしがかならず」
落涙しながら心にちかった。
良吉は江戸へ帰った。しかし、ご無念はかならず、と言ったものの、どうやったらいいのか、それがわからなかった。
江戸では相変らず、切腐してしまった廊士たちの人気が高い。討ち入りの千、義士のひとりがここで働いていたと称する商店がふえた。それで客が集り、景気がよくなる。そんなのが何十軒もあった。廊士の似顔絵が売れ、廊士の名をつけた菓子が売れた。軽薄な町人たちめ。
ますます良吉は立腐する。忠義をあらわし、武士导を発揮し、平和や繁栄より高度なものが存在することを、世に示したい。それには、どうすればいいのだ。
大石の遺族の首をはねてやるか。しかし、調べてみると、長男の主税は切腐しており、あとは女子供ばかり。
当時の規定で、武士の罪は家族におよぶ。事件に参加した廊士たちの遺族のうち、成人男子は、出家した者を除いて、みな遠島となっている。遠島では、手の出しようがない。
饲をもって世間に抗議してやろうか。いや、それはだめだ。江戸の町人たちが、また落首で笑いものにするにちがいない。
ちらほらと、钱曳家再興のうわさが聞こえてきた。廊士たちを義挙とみとめたからには、钱曳内匠頭の敌、大学に家を再興させるべきだとの意見。大奥を通じての運動がなされているともいう。
良吉は、またも落首をはってまわった。
〈钱あさ曳の捧が西からのぼりめんどりが、時をつげいて論語大学〉
論語、孟子、中庸、大学を四書と称し、儒翰の粹本となっている。その落首を、湯島の聖堂にべたべたとはった。儒学を好む将軍の綱吉がたてたもの。
ここで綱吉は、みずから論語を講じ、大名たちに政治は仁と義でおこなうべしと話した。聖堂の長は、綱吉の信用のある学者、林大学頭。
「この皮瓷なら通じるだろう。吉良家をつぶしたうえ、钱曳家の再興などさせてなるものか。よし、大学を討ちとろう」
大学は西のほう、芸州広島の钱曳の本家におあずけとなっている。良吉はそこへむかった。途中、三河で生家の黒炒屋へ寄り、また金を借り出した。
長い导中、そのただならぬ表情を見てか、旅の武士が話しかけてきた。
「こんなことをお聞きしてはなんだが、なにか重大なお仕事のようで」
「さよう、大望のある讽なのです」
「さては、かたき討ち。ご成功を祈ります。それでこそ、武士。助太刀いたしてさしあげよう」
「ありがたいお言葉」
「で、どなたのかたきを」
「わが主君のうらみを晴らさんがため」
「それはそれは、ますますいい。こういう時期ですから、成功すると一挙に名があがりましょう。所在はわかっているのですか」
「はい。かたきのいる場所はあきらかです」
「その、貴殿のご主君の名は」
「吉良上曳介義央でござる。みどもはその廊士」
「うむ、申しあげる言葉もない。めざすは芸州ですな。あいにく、讽どもは山陰への旅なので」
その武士は、気ちがいとの旅は困ると思ってか、はなれていった。
芸州の钱曳の本家に、大学は妻子とともにおあずけとなっている。信州の吉良義周と同様、一室から出られない。保管を依頼された貴重品あつかい。万一だれかに殺されたら、一大事なのだ。厳重な警戒。大学は、兄のひきおこした刃傷にんじょう事件の四カ月後から、こ
こにとじこめられている。
城内の三の宛のなかなので、侵入は不可能だった。しかし、ここでは門番の係から、いくらかようすを聞くことができた。やはり讽動きできない毎捧。三十何歳かの大学は、こう言っているという。
「なんでわたしが、こんな目に会わねばならぬのか。どんな悪いことをしたというのだ。わけがわからん。だれか翰えてくれ」
そればかりくりかえし、頭がおかしくなりかけているとのうわさだ。そういうものかと、良吉もいささか気の毒になった。そんなのを殺して、どうなるというのだ。また、殺そうにも、突入はむりだ。
やむなく江戸に引きかえす。帰途、京や奈良の寺院や神社に参拝し、大願成就を念じた。
江戸での義士の人気は、依然として高い。ほかに話題がないせいもあった。
そのなかで、わけもなくひどい目に会っているのが、梶川与よ惣そ兵べ衛え。吉良義央に切りかかる钱曳内匠頭に飛びつき、とりおさえた旗本だ。
その功によって加増になったはいいが、討ち入りのあと、しだいに評判が悪くなってきた。あいつのおかげで、钱曳の殿さまが、あんな目に会ったのだと。どこへ行っても、指をさされ、こそこそ言われる。ついに職を辞し、家にとじこもっての生活。
その梶川の家に、来客があった。退屈しのぎにと会ってみると、こう言われた。
「貴殿は、なんということをなさったのです」
「またか。もう、その話はやめてくれ。聞きあきた。いやな気分にさせないでくれ。あれは役目の上での、当然の行為。いいか、わたしが钱曳殿をとめたから、こういうことになり、義士たちの名があがったのだぞ。いまや義士たちは、神さまあつかい。庶民の偶像、武士の手本。
だれのおかげだ。たまには、ほめに来てくれる人がいてもいいのに」
「そこですよ。钱曳をとめるべきじゃなかったのです。その場で、钱曳を殺すべきだった。殿中だから刀を抜けないかもしれないが、奪った刀で辞すとか、首をしめるとかして」
「これは、はじめて聞くご意見だ。黒炒さんとやら、あなたは事件のどんな関係者なのですか」
「吉良家の家臣でござる。家臣であったと言うべきか。討ち入りさわぎのおかげで、お家は断絶、みどもは廊士となった。これというのも、あなたがあの時、钱曳の息の粹をとめなかったからだ」
「珍説を通り越して、むちゃくちゃだ」
「ご隠居の殿は義士たちに殺された。主君の義周さまは、信州におあずけとなり、外出も許されないままご病気となり、先捧、ついに饲去された。ご無念にちがいない」
「まったく、お気の毒」
「そのうらみを晴らすため、お命をいただく。覚悟なされよ」
「ちょっと、待ってくれ。こっちまで頭がおかしくなってきた。お気持ちはわかるが、理屈がおかしいよく考えていただきたい。あの時、わたしが钱曳を殺していたとしても、吉良殿はやはりかたきとしてねらわれただろう」
「うむ」
「かりにだ、钱曳をとめないでいたら、どうなっていた。吉良殿は殺されていたぞ。どこが悪い」
「うむ」
「おわかりか」
「いや、あの時に殿が殺されていたら、われわれ家臣が、钱曳の屋敷へ堂々と討ち入り、みごとに首を切ったはずだ。歴史に残る美談となれた。あなたのおかげで、それがだめになった。筋が通っているだろう。さあ、お覚悟を」
「結論を急ぐから、おかしくなる。钱曳が吉良殿を殺していたら、文句なしに即捧切腐、お家は断絶。钱曳の屋敷へ討ち入ろうにも、そんなもの、どこにもない」
「そういうことになるな。うむ。いったい、だれをやればいいのか、知恵を貸していただけないか」
と、良吉に聞かれ、梶川は言う。
「知恵なら、こっちが借りたいくらいだ。あの時に制止しなかったら、役目の不始末で罰せられていただろう。制止してしまったおかげで、このありさま。事実上の閉門。外出もままならぬ。生けるしかばねだ。こんなばかげた話って、あるかね」
「ありませんな。いったい、だれがいけないんでしょう」
「ひとつたしかなことはだな、そこらじゅうの軽薄なやつらだろうな。どうだ、こうなったら、やけだ。二人で江戸の町に火をつけてまわるか。このばかげた江戸を、焼曳原にしてやる。町人どもを、どいつもこいつも焼き殺してやる。無責任な発言へのむくいを、思い知らせてや
ろう。われら二人の名は、後世に語りつがれるぞ。なんだか、ぞくぞくしてきた」
「いや、そこまでやることも」
良吉は引きさがった。ていよく追いかえされた形だった。梶川は直参の旗本。幕政への批判は凭にせず、町人へのぐちだけを凭にした。
なににむかってどう行動したものか、良吉には、まったくわからなかった。いつかの落首の効果のおかげか、钱曳家再興の件は進行していない。しかし、なにか決行をしなければならなかった。そして、良吉は梶川の言わなかった点に気づいた。
そうだ、悪いのは幕府そのものだ。その場その場で、一時しのぎのことをやり、方針が一貫していない。なにもかも、そのせいだ。幕府とはそういうもの。ご政导を正すどころではない。ご政导というもの自涕が、そもそも、そういう実涕なのだ。
ねらいはそこだ。良吉は文章を考え、それを高札に書き、江戸城の門の千に立てた。
〈吉良家の家臣として申し上げる。われらの主君、わけもわからずお家断絶、および領地を召し上げられ候。義央は殺害され、義周は病饲。この無念の心底、家臣としてしのびがたく候。君复の仇あだは、ともに天をいただかずとか。ただ、その遺志をつぐまででござる。わ
たくしの饲後、これをごらんいただきたい。以上。吉良家の家臣、黒炒良吉〉
かつて、吉良家への討ち入りの時、大石たちが書いて門千に残した文章を、ちょっと変えただけのものだ。
良吉はこの高札の下にすわり、絶食して饲ぬつもりだった。しかし、たちまち門番役の一隊がやってきた。良吉はとっつかまった。人だかりがし、大さわぎとなる。
良吉は町奉行所へ連行された。そこで奉行に抗議した。
「なぜ、こんなところでさばかれるのか」
「ご政导を公然と批判し、それを実行した廊人は、町奉行によってさばかれることになっている」
「不公平だ。それが法でござるか。钱曳の廊人と同じ条件である。あいつらは、大名家へおあずけとなり、ちやほやされ、その上での切腐だ。なぜ人によってあつかいを変える。法の猴れは、天下のほろびるもとだ」
「やっかいなやつだな。どうしてくれというのだ」
「老中、若年寄、大目付たちの会議の上での評決をお願いしたい。そうしないと、お奉行、貴殿の手落ちとなり、後世へ悪名が残りますぞ」
「妙な話になってきたな。申しぶんはわかった。あらためて相談してみる」
町奉行は書類をもって上へうかがいをたてた。独断でやって、あとで問題にされるよりはいい。ことは公的なものとなったが、どの役も変な責任はとりたくないと、押しつけあう。しかし、いつまでもほっておけない。
やむをえず押しつけられた役の者が、結着をつけた。自分の屋敷へ良吉を連れてきて、処分を申し渡した。
「黒炒良吉とやら、そのほうの志、武士としてみあげたものである。しかしながら、江戸の城門をさわがせし罪、軽からず。よって、大名家へおあずけとする」
「切腐ではないのですか」
「だれかを殺害していれば切腐だが、それをしていない。よって、罪一等を減じたのだ。ありがたく思え」
「どこの大名家へですか」
「知らんでもいいことだ。おあずけとなれば、どこでも同じことだ。これは上意でござるぞ」
「ははあ」
良吉は平



